桃園川の現状

 荻窪駅の北、徒歩5分の弁天池湧水を源流としていた、天沼ー阿佐ヶ谷ー高円寺経由東中野近くの神田川に合流する桃園川。今や 全てコンクリートの蓋やアスファルトで被せてしまった暗渠河川。昔は「春の小川、さらさら清流」河川、今や「下水」河川である。

 

 何故「桃園川」だけが暗渠河川になってしまったのか。理由は二つ。

1、地形上の理由;

「桃園川」のエリアは 西は環八、南は青梅街道、北は日大二高通り早稲田通り、東は環六まで。このすり鉢状の谷は 他の神田川、善福寺川、妙正寺川の流域の谷に較べて 地形(地勢)上 ”谷が狭く” 且つ〝浅い”のである。狭く、浅い上に湿地には「葦」が生い茂っていた。「阿佐ヶ谷」の地名は「桃園川」が作った地名であろう。故にこの谷自身の湧水量が少ないのである。渇水期には川は流れない、大雨時は水浸しの繰り返し。

2、関東大震災後の人口急増;高度成長期の生活排水垂れ流しによるどぶ川化、大雨時の床上浸水。手っ取り早いのは「臭いものには蓋」。昭和40年頃までに「全て暗渠化」。

 

 この河川 全長約7㌔、標高46mから39mで 落差は7m。大きく分けて阿佐ヶ谷、高円寺そして中野の3つのエリア流域に分けられる。特にJR中央線をくぐった高円寺から神田川に注ぎ込むまでは「桃園川緑道」として整備されている。

 

桃園川は3つの流域エリアに分けられる。

・阿佐谷エリアーーー昭和30年代までに暗渠化されたが 以降整備もされず 昭和の佇まいを残す。但し 夜間の女性一人歩きは危険。

・高円寺エリアーーー「桃園川緑道」として税金投入して整備されている。

・中野エリアーーー高円寺エリアと同じく「緑道」として整備。

 

 赤色で示す本流には 青色の10数本の支流が流れ込んでいたが 勿論これらは暗渠化され 雨水時のみ流れているものと思われる。大半の流路は 住宅や道路で分断、埋められ 湧水の源流は殆ど確認出来ない。


桃園川の謂れといつからか?

1、「桃園」の謂れ;

・『武蔵名勝図絵』;享保20年中野お鷹狩りお成りの時,犬小屋御囲跡地辺を桃園に御取建てあり。はじめは紅桃を御植え付け、同年の又白桃を御植え付け、凡そ6714坪の場所井に田畑、畦道、並木の間、所々に緋桃,白桃開くときは、数千樹の桃花色を争いて甚だ佳景なり。

・『江戸名所図会』;三代将軍家光は鷹狩の際たびたび高円寺に立ち寄り、当寺には桃園観音堂があり 境内に桃の樹が多く、桃園と称すべきと台命あり。その後 八代将軍吉宗の享保の頃、この辺りの田畔にことごとく桃樹を植ゑしめたまい、そのころ台命によりて、このところを桃園と呼ばせたまいしと言えり。

 

2、桃園川はいつからか?ーーー昭和の初期に「桃園川」の呼称が定着化か。

・『杉並近世絵図』---「阿佐ヶ谷流田用水堀」

・『武蔵国風土記稿ーーー玉川上水の分水、引分」                                  

・『豊多摩郡誌』1916年---「千川用水分流」

・『杉並区勢早わかり』1935年ーーー「千川用水 井草、杉並」

・『杉並現勢大観』1940年ーーー「桃園川;馬橋より中野区に至るもので、延長1909m、幅4.08m」

 

                          (出典;杉並区立郷土博物館 駒見敬祐氏の講演より2018/9/13)


桃園川に関するブログ

智慧と技術の結集!天保の水普請 新堀用水;http://www.suginamigaku.org/2014/10/h-niibori.html


「No life,No river」;http://www.kasetatsuya.com/norivernolife/noriver_nolife.html

 

暗渠さんぽ;http://kaeru.moe-nifty.com/ankyo/2012/11/post-1768.html

 

暗渠ハンター;http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-6e6b.html

 

時空散歩;http://yoyochichi.sakura.ne.jp/yochiyochi/

 

川のプロムナード;http://riverpromenade.blog.fc2.com/blog-entry-6.html

 

東京の水;http://tokyoriver.exblog.jp/15535592/

 

東京の橋;http://www.djq.jp/tokyo_bridge_top_page.html

 

野火止川;http://pe-jougesui.sakura.ne.jp/home/kawa-aruki/nobidome/nobidome2.html

 

全国の廃河川;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%BB%83%E6%B2%B3%E5%B7%9D%E4%B8%80%E8%A6%A7https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%BB%83%E6%B2%B3%E5%B7%9D%E4%B8%80%E8%A6%A7https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%BB%83%E6%B2%B3%E5%B7%9D%E4%B8%80%E8%A6%A7

 


「天沼」は古代官道の「乗潴駅」があった

 古代・中世の杉並の姿は 考古資料、古記録が数少ない。武蔵国は奈良時代の末期以前には東山道に属していたことから、武蔵国は東山道経由で都と繋がれていた。これは現在「東山道武蔵路」と呼ばれている。しかし乍ら 武蔵国は奈良時代の宝亀2年(771)に東山道から東海道に所属替えされた(『続日本紀』)。「続日本紀」の記録に残っている古道「乗潴駅」は 現在の環八と青梅街道の交差点四面道から清水町辺りにあったものと言われている。まさに この辺りは湧水があり 「桃園川」や「妙正寺川」の源流でもある。

尚 乗潴の訓みは諸説あるが 律令用語としての乗田は「アマリノ田」、乗潴は「アマヌマ」と訓まれると考えられる。 


 その後 武蔵国は東山道経由ではなく東海道経由になった為「東山道武蔵路」は廃れていく。


権現みち(1017/5/21)

 桃園川は天沼3丁目の弁天池から東中野駅近くの神田川に合流。阿佐谷エリアでは中杉通りを横切っている。現在は欅並木の「中杉通り」として整備されているが 江戸時代までは「権現みち」と呼ばれた古道の一つである。

 名前の由来は 阿佐谷村の村民が 石神井川の一寸手前の練馬区貫井町にある「子の権現様」(正式には圓光院貫井寺)にお参りに行く参詣道。

 

 阿佐ヶ谷南にあるパールセンター街も当時の古道の道筋。この賑やかな商店街のビルの一角に当時の面影を残す民間石塔(庚申塔と菩薩像の2基)が佇んでいる。


JR阿佐谷駅が高架になったのは東京オリンピックの昭和39年。当時「開かずの権現踏切」として悪名。現在もこの橋梁の名前は「権現寺架道橋」とネーミングされている。(三菱銀行阿佐谷駅前支店の2Fより撮影)

 踏切を過ぎると現在の中杉通りの西側の「松山通り」が 阿佐谷6丁目の早稲田通りまで続く。これが古道である。

 道わきに曹洞宗の「法仙庵」と言うお寺があり 杉並区教育委員会のお寺の由緒によると 当時のこのあたりの様子が覗える。

 又 小生家の宗派は曹洞宗なので檀家となっている。毎年5月の連休明けの日曜日のお施餓鬼法要があり毎年出席。



中杉通りの欅並木(2017/4/10)

 青梅通りの杉並区役所から早稲田通りまでの約2㌔、江戸時代の参詣古道「権現みち」と並行して中杉道路に立派な欅並木が整備されている。


桃園川緑道のみどりとお花(2017/5/16)

 区主催の「みどり再発見」の観察会に参加。約1.6㌔の高円寺から阿佐ヶ谷けやき公園まで高円寺エリアの緑道散策。大黄花カタバミ(南アフリカ)、小判草(ヨーロッパ)、長実雛罌粟ナガミヒナゲシ(ヨーロッパ)、ツタバウン蘭(地中海)、アメリカ風露フウロ(北米産)、唐種招霊カラタネオガタマ(中国)、梛木筏ナギイカダ(地中海)、菩提樹(中国)等々外来種が80%占めていた。